日窒広河原沢軌道跡#2
着いた! 見たかった〜これ。 戦中、もしくは戦前から造られた空積みの石垣。 空積みとはセメントや漆喰など石同士を接着しておらず、ただ積んだだけの事。 ただ積むと言ってもそういう技師が居て、岩の割れ方、積む角度など計算しながら積むのだとういう。 (現地でモリリさんに教わった) この地震大国日本において60年以上崩れずに現存するのには恐れ入る。 一体何層に(山肌の中方向)積んであるのだろう。 |
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びっちり。 もう一段上にもある。 左端に見えるのは滑車。 この石段上には盤台があったらしいのだが、この位置からだと下流部出合付近に索道を真っ直ぐ引けそうにない。この見上げる上には小ピーク(上地図の軌道跡と書いた右下部分)があるのでもしかするとそこになにがしかの痕跡があるのかもしれない。 モリリさんにお願いし確認しに登ってもらった。 上の方から「ワイヤーがあるぞ!」 となったので私とサトちゃんはどよめいた。 がしかし、丸くまとめられたワイヤーがあるのみだったそうだ。 ピークまでは行かなかったそうなのでもしかすると、もしかするかもしれないが。 もし数年後に訪れる機会があれば確かめてみようと思う。 |
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朽ちかけの滑車とワイヤー。 | |
60年の歳月は軌道上に樹を育んだ。 | |
今はもう無いプルトップ。 軌道があった頃のでは無いだろうがなつかしい。 |
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石垣上で今も寄り添う。 さて、進もう。 |
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進む先がいきなり崩落地だ。 手前はカメラを仕舞うサトちゃん。 先行はモリリさんだが、この写真を見るとどこをどう通って歩いたのか判らないでしょ。実際には踏み跡がはっきり残っているから大丈夫♪ |
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逆L字に切り崩された軌道上を行く。 ここを右に曲がると・・・ |
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これだ。 ここには軌道があった。 しかし現在は人ひとり歩くのにやっとの幅しかない。 でもこの軌道は特殊で軌間(レールの幅)は20インチ(50.8cm)であったというから桟橋などを工夫して通していたのかもしれない。 まて。 このトラロープ・・・・ |
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いったいいつから張ってあるんだ!?!?! まるでメタボのベルトだ。 トラロープの材質っていわゆるナイロンだよね?(違ってたら教えて) こんなに強固で経年劣化も少ないものなのか??? いつ切れてもおかしくない状態だが。 |
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トラロープは半信半疑で頼って進む。 |
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振り返って。 見える木の桟橋は軌道由来のものではない。 おそらく現作業道の普請だとおもう。 それでも朽ちかけているので容易に踏めない。 |
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踏めないが、ちょっと踏んでみた。 高度感・・・出ないね(^_^;) |
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あ 置いてくなよ〜〜 |
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朽ちた桟橋(作業木橋)を乗り越え おぉ! レールあったぞ!! の声が響いた。 |
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あった。 | |
軌道上に埋もれかけたレール。 すごく細くて小さい。 それに半分埋もれているため浸食が激しい。 比較対象となるものを一緒に撮れば良かったなぁ。 |
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レール発見も束の間。 完全に崩落した斜面を3点支持を基本に進む。 |
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所々に落ちているレールがある。 右に見えるのは朽ちた桟橋。 |
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浮いているように見えるレール。 | |
ここには2本並んで浮いていた。 | |
鉄道 であった名残の2本対のレール。 山側の崩落土砂によって谷側に押しやられたのではないようで、谷側の地盤の陥落でこうなったように思える。そのレールを今は育った木々が支えている。 |
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レールの接合は20cmほどの鉄板とボルトナットで。 気付いたのだけど、写真のイチバン右のボルトナット、細く小さい。 何故だ? 足りなかったのか? いや、この後見る残存レールのモノも一つだけ細く小さいボルトナットだった。 なにか意味があるのだろうか。 |
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作業用木橋とずり落ちた残存レール。 この景色はそう無いと思う。 |
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半分木に喰われたレール。 | |
重力に負けつつある。 | |
振り返って。 みんな楽しそう♪ |
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さて、次はどんな光景が出てくるか。 |