武州中津川森林鉄道


鉄道の歴史 
JTBパブリッシング 西 裕之著 「全国森林鉄道 武州中津川森林鉄道」 より引用
東京営林局秩父営林署 埼玉県大滝村
動力 手押し・牛力→内燃
軌間 762mm
距離 本線延長中津川〜検分河原9,805m+信濃沢支線400m
建設開始 昭和18年(1943年)
開始 昭和22年(1947年)中津川〜信濃沢出合間6,247m完成
支線 昭和23年(1948年)信濃沢支線400m完成
本線延伸 昭和25年〜30年(1950〜1955年)に信濃沢出合〜検分河原まで3,558m完成
廃止 昭和34年(1959年)
廃止後 車道 中津川有料道路として昭和40年代まで“日本一悪路の有料道路”として悪名高かった

そんな歴史のある武州中津川森林鉄道の名残を少しでも体験出来れば。
と、はぐれ道中後に時間の許す限り車で辿ってみた。

扁額も無い名も無いトンネル。

場所はココ ←クリックで国土地理院地形図を別窓で表示します。

地図の右端(小さいモニターの方は地図をドラッグスクロールしてください)にある森林科学館でひと休みしつつ中津川森林鉄道の資料があるのではないかと見て回った。
が、詳しい情報は全く得られず。
この森林科学館のある場所はかつて武州中津川森林鉄道の起点だったらしいのに。

しょうがないのでアイスを食べた。
私、オレンジシャーベット。
サトちゃん、メイトーモナカ。
メイトーモナカ、懐かしい!(笑)

 ・・・・・・

このトンネルの南側に軌道跡と思われる平場があった。
  これだ。


武州中津川森林鉄道跡ってその筋ではあまり人気(にんき)が無いんだろうか?。
検索してみてもネット上にはほとんど探索した記録が無いのだ。

現存する物、レールや枕木、橋跡、隧道...etc。

それら、何がしか無いと興味の対象とならないのかな。

それとも、あまりにも有名なのかな。
まぁ、私は自分自身が興味持てばそれで好し!
なのでこの軌道跡らしいモノは楽しくてしょうがない。

 ↑の無名のトンネルは林道化時に掘られたトンネルだと考える。
トンネルの上流側から歩いているので右側眼下に中津川本流の荒瀬が見える。
石垣ギリギリに立って真下を撮ってみた。

解るだろうか?。
思いのほか高いので右足を前に出しファインダーを覗かずに石垣下を撮っている。
廃止後50年。

山中の自然樹木は生長が早くない。

それにしてもこの軌道跡の木々の生長は遅い様に感じた。

なんでだろう??

もしかして、車林道となった後もここは車道として使われていたのかもしれない。
   ん?

 あ! もしかして!!
 やっぱし!!
 切通し!
この辺りのレポってネットで見たことが無いのだが、思いの外遺構というか、色々と残っている様だ。


山側の削った岩壁。
レンズの広角側が28mmまでなのでこれ以上の上部は撮れなかった。

だったらアングルを変えて上部を撮ればよかったのだが、撮り忘れた。
こちらが渓側の岩部。

この軌道跡、廃止から50年経っているはずなのだが、樹木が若い気がする。
見たところ、ホウノキ、カエデ、ヤマザクラ、モミノキ、シイノキ・・・ぐらいなのだが、
これらの樹って生長が遅いのだろうか?。せいぜい太くても直径20センチ程度だ。
切通を抜けて振り返って。
渓側の岩も振り返って。

この切通前後で8枚も撮っている。
ちょっと気に入った場所になった。
切通を抜けた先の軌道跡。

どうにもやっぱし縦位置の水平撮影が苦手だ(^_^;)


この場所へ軌道を通すのには相当な労力があったと思う。
この山側の岩肌を見るとそれが解る。
戦前〜戦中〜戦後と第二次世界大戦による木材需要の高まりの程が。
その先にはこんな立派な石垣も。
石垣に護られた軌道跡は山側が崩れたのか、元々地山なだらかだったのか、見た目緩斜面の様になっている。
石垣を撮るために渓側に下りて。

岩山を削り、軌道を敷くために均し、
軌道の平場が崩れない様に空積みの石垣を造る。
枕木を敷き、鉄路を通す。

すごい作業だよ、まったく。
ここはかなり荒れている。
こんなひとかかえもあるような落石には遭いたくないものだ。

行く先に現道である林道が見えてきた。
ん?

現道との境になにか標識がある。
・・・な〜んだ、保安林標識だった。


サトちゃんが画像確認しているのが解る(笑)

ほんの200メートルの軌道跡だったが存分に楽しめた。
だって・・・


先ほどまではただ単に沢を行ったり来たりしてただけだもの(笑)。



名も無き林道トンネルの向こう側に親父に借りた車が待っていた。


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