東松山専用鉄道高本線跡2


高本線
↑カーソルを乗せると手書き路線を表示する 国土情報ウェブマッピングシステムより

前回の最終写真での築堤はこの赤い線の位置にある。
またまた一気に飛ぶ。 マピオン地図

西に向いて撮影。

間違いなく高本線跡なのだが。
 廃線ゆえ、鉄路も枕木も残存せず。

登場人物 大師匠。
少し進んで振り返って。

廃線路を今に伝えるモノは無い。
いや、今となってはこの平坦さが車道路との違いを想わせるモノか。
廃線跡築堤をゆく  どんどんと。
ん?

右側(山側)にも傾斜が見えてきた。
・・・なんだ?

この地点は山側に小さな沢と高本山配水場があり、ちょっとした谷になっている。
それを山肌に沿って敷設しようとせず、
谷を真っ直ぐ貫くように築堤が作られたのだ。
山肌に沿って敷設しようものならエラク曲がりくねった線路となり、とてもじゃないが列車が曲がれないだろう。
さらに行くと鉄橋があった。
すごくしっかりした橋。

だが、真ん中はペニャペニャしていて踏み抜きそうだ。
ここは丸ぽっちが付いている部分を渡る。
KISHA SEIZO KAISHA
OSAKA・1923
社會式株造製車汽
阪大
造製年二十正大




85年も経っている。
次に現れたのは立派なコンクリート橋。
これがまた結構高い。
橋台部分に水が滴りシミが出来ているが、
なんだかそんなに古く感じないのはコンクリートが白く見えているからだろう。
左の側壁なんか苔生していて良い感じ♪

この路線のハイライトはこの2本の橋梁らしい。

さて、戻って終点を探しましょうかね。
これが高本山配水場から繋がり落ちている水道パイプ。
2本の轍が付いているって事は車がここまで上がってくるんだな。
さっきの鉄橋をくぐって。
ここだけ見ると道路にも見える。
実際ここも2本の轍があったので一応は管理されているのだろう。
さーてと、左に上がっていく道はゴルフ場へと続く道。
よって、おそらく右下へと続く道とゴルフ場へと行く道の間あたりに線路が通っていたのだろうと三人は考えた。
いや、アタシはなんも考えてなかったんだなこの時は(^^;。
終点を探したどり着いたのは・・・どこ?
この時点で↑のゴルフ場入口から40分が過ぎていた、彷徨っていた。。。
50分後・・・2枚↑の写真の分岐を左に上ってゴルフ場入口右側にある怪しい道路。

そうなのだ、今回唯一の手がかりであるサトちゃん持参のサイトを印刷した中に写る1枚の写真から、

ここがそう(終点)なんじゃねーの?!

と。

どうやらココらしい。
帰宅後に調べたら間違いなくココだった。

1時間近くも車でアチコチ彷徨ったのでもう気力がかなーり無くなっていて写真もこの1枚しか撮っていない(^^;。
しかし、もうひとつの遺構を探し当てた。
気力が無いにも関わらず。

次↓の写真の道路橋上から撮ったのが←の写真。
判り易い様に草地を白っぽく修正してある。
ここも線路跡なのだ。
そしてこの道路をくぐる。
この道路はおそらく古くからある峠越路だ。
そうでなくてはわざわざ立体交差にはしなかっただろう。
地元の人々の生活道路というか、無くてはならない路だったのだろ。
証拠に、橋のすぐ傍らに道祖神と庚申塔(で良いのか?)が建てられていた。
「元禄」となっているから江戸時代、300年前からこの地に建つ。

←写真クリックで別窓で拡大します。


おしまい。


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