水根貨物線再訪2
この小さな石垣の謎が解ける刻が来た(大袈裟な)。 |
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もうひとつあった。 こちらはU字型をしている。 なんだろう・・・・と写真を撮りながら考えていると後ろから師匠が呼ぶ声。 右を向き見上げると ・ ・ ・ |
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うおっ!! 段々畑ならぬ、段々石垣!! なにこれ? 九十九折の道??? 「いや、これは山葵田だろう」と師匠。 えー?!違うんじゃないの?? だってさ、杉だらけだよ。 ほらぁ、すんげく斜めだし。 これのドコが山葵田なの?。 と、全然意見を聞かない私。 どうにも理解出来ないのでズンズン石垣斜面を登ってみた。 ・・・山葵田っぽいな。 んでも埋まり過ぎじゃありやせんかね? 師匠? |
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「いや、ほら、ここに収穫した山葵を洗う洗い場跡がある。」 え"っ!! あらま!ホントだよ。 昔のドブ板みたいなコンクリートで出来た蓋まであったよ。 これには驚いた。 私も興味を持った事への執着眼には自信があるのだが、師匠のソレには恐れ入る。 やっぱスゲーよあんた。 うまむしには滅法弱いけど。 (-。-) ボソッとな。 |
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山葵田跡を挟んでひがしにし。 第一桃ヶ澤トンネル東側坑口。 この樹はどうしてこうねじれて育ってしまったのだろう。 この写真、見ようによっては怖いな。 何故だかおどろおどろしい。 比べて・・・ |
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清水トンネル西側坑口。 こちらは打って変わって美しい。 何故だろう? やはり彩りと植生のせいだろうな。 |
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清水トンネル南側斜面に続く石垣。 一瞬、路か??と思ったが、先が続いてなさそうなので山葵田の名残だろう。 ん? ということは。 今キーボードを打ってて思ったのだが、この山葵田は路線の出来る以前にあったのだ。 それを東京都が水道局が”都”の水瓶を造成するために地元民から奪ったのだ。(事実関係は知らないが。) ・・・もしかして路だったりして?(^^; |
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清水トンネルを抜けて。 2週間前とは随分と紅葉の残り方の違う峪。 この立派に連なる石垣は何度(って二度目にすぎないけど(^^;)見ても立派だ。 なぜこの様な立派な石垣を造ったのだろう。 |
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銘板 清水 施工 鹿島建設 昭和27年 |
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↑の扁額が隠れて見づらいのはこの梯子?のせいだ。 これはドコへ登って行くのだろう。 地形図を見てもこの上に高圧電線の鉄塔があるわけでもなし。 いつか登って見よう・・・と思う。(笑) |
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↑の写真の左上に写っている柱の札1。 板木が痩せてしまっていて判読出来ない。 |
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柱の札2。 こちらも殆ど判読出来ないがなんとなく 「九」の字のようなものが見える。 |
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前回のこの場所である。 その峪に立ち上方を見上げて撮ったのがこのガレ沢。 ひとかかえ、直径60センチ以上の岩塊がゴロゴロと今にも崩れ落ちようと順番待ちをしている様だ。 ここでまた師匠の芯を突いた説が輝く。 「ここって橋梁じゃなく暗渠だったのでは。」 ん?おぉーー!!なるほど。 そうすると説明というか、納得がいく。 そうなのだ。 前回通った時にも橋梁だったら何がしかの残骸があるはずなのだが、前回も暗渠言うか、巨大高の築堤だったと考えるにはどうにも謎だった。 それほど路線跡より谷側には何も残っていないのだ。 ので、巨高築堤もしくは暗渠であったと断定する。 間違い指摘は随時受付中です。 |
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↑の場所から下流を撮った。 うお!丸太橋!! そう、これを渡るのだ! |
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このように。 よいこのみんなはまねしちゃだめよ♪ 実はこれ、電柱。 おそらく暗渠上に立っていたものがたまたま丸木1本橋のようになったのだろう。 |
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全員無事渡りました。 ←大ウソ。 今回唯一写真ぽい”切レール”。 |
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第二板小屋トンネル内。 敷設されているレールの他に残置されたレールがあった。 これは間違いなく↑の暗渠が流された後に宙ぶらりんに残ったレールだろう。 |
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第二板小屋トンネルを下った先の巨大石垣暗渠。 |
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どういう構造になっているのかこの眼で見てみたく小沢に降りてみた。 すごい! ものすごい工量のコンクリートの上に盛土と思われる土工をして路線構築してあるのだった。 左上に人・・・誰だ?子モグラかな。 ソレとの比高でこの暗渠の大きさが解るだろう。 |
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第一板小屋トンネル内から振り返って。 う〜ん♪ トンネル内から望む紅葉は格別だ。 これは一度見たら病みつきになる。 向こうに見える葉第一板小屋トンネル。 |
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惣岳(仮称)トンネルより振り返って。 このトンネルを惣岳としたのはこのトンネルの南側、すなわち谷側に「惣岳不動尊」があるので勝手に命名した。 水根貨物線のトンネル群も総じて奥多摩の地名(字名?)をトンネル名としているのであながち間違ってはいないだろう。 それと清水トンネルと惣岳トンネルの間はかなり荒廃が進んでいるように思う。 現地では気付かなかったのだが、写真を見直していて杉の植林が少ない事に気付いた。これはこの区間の地山が脆く、植林地としてふさわしくなかったのではないかと考えられる。もしくは山葵田があったのを考えれば山の出水が極端すぎて杉の苗を植えたとしてもスグに土砂ごと流されてしまったからかもしれない。 |
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惣岳トンネル内。 トンネル外と打って変わって廃な感じは無い。枕木もしっかりと残っていてすぐにでも現役復帰出来そうだ。 |
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惣岳トンネルと梅久保トンネルの間にあるコンクリート橋。 右下にかろうじて青梅街道の路面が見えている。 ←この辺。 改行で記しているので文字サイズやブラウザの違いで位置が変わります。 ちなみに私の基準はIE6で文字サイズ中。 |
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↑の橋と梅久保トンネルの間にある切り通し。 2枚目は橋へ振り返って。 切り通しを抜けたとたんに橋。 よくわからんが、素人目にも大変な工事だったろうと思う。 ここは水根貨物線で最大の切り通しだ。 ここは何ゆえ切り通しにしたのかわからん。 何ゆえってのは3枚目を見てもらえば分かっていただけると思うのだが、相当な土工量なのだ。これほどならばトンネルとした方が楽だったのではないか。 ここでふと思った。 そういえばこの路線、今で言う大手ゼネコンが分割(?)して建設したんだよな。 もしかするとその会社、会社で得意なモノが違ったのかもしれない。 ある会社はトンネル掘削が得意。 またある会社は切り通しが好き♪とか(笑) |
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次の切り通し。 ↑より小さな切り通しだが紅葉に囲まれ美しい。 ここもちょっと惚れ惚れした。 お陰で仲間を待たせてしまった。 さて、今回はこれで終わり。 まだまだ続くよ〜(^o^) |